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南米旅行 2016年9月6日(火)~9月14日(水)

時差はブラジルとアルゼンチン12時間。ペルー14時間。ロサンゼルス17時間。
ブラジルはサマータイムがあるが旅行時は適用外。

2016.09.06(火)
0:10羽田発DL0636でロサンゼルスへ18:45着。10時間35分。
0:15発LA2605で.リマ空港へ10:55着。8時間40分。
乗り継ぎで12:13発LA2443でブラジルのイグアスへ2016.09.06 18:08着。3時間55分。
イグアス泊(ブラジル)。ホテルでブッフェ夕食。

ブラジル・アルゼンチンのイグアス滝は南米まで観光に来て良かったと思う場所だ。

2016.09.07(水)
今日は、ブラジル側からイグアス滝を巡る。
午前8時からのヘリツアー(オプショナルツアー2万2千円)へ向かう。09:19

世界一の水量を誇る滝を見る。9:23

動画 9:31

滝の左側が「悪魔の喉笛」である。
翌日、上の遊歩道を渡り、悪魔の喉笛を見る。
横にある一部が欠けた橋は数年前の豪雨時に壊れた古い遊歩道跡。


その後、ホテル周辺を散策。
バス停には停留所名の表示がない。路線図もないからバス停から現在地が分からない。あるのはA2サイズのイグアス全体の簡略地図のようなもので、全停留所に同じものが貼ってあった。
地図のようなものを指差しながら停留所に座っていた女性に「ここはどこなの?」と聞いたが「分からない」と言った。
旅行者は路線バス利用ができないなあ。
バス停に停留所名や停まるバスが書かれていないのはペルーも同じだ。テプラを持っていれば作りたい気分だ。日本人の所得がいつの間にやらOECD諸国のビリになってしまい、日系現地ガイドさんは日本人観光客が減って大変そうだ。自治体へ、日本のバス停のような案内板作成を請け負う提案をすれば、小さいけど安定した事業になるんじゃないかな。日系現地ガイドさんが連絡をくれれば日本の様々なバス停の写真と書かれている文字の英訳をお送りしますよ。

レストランでのシュラスコ昼食後にブラジル側のイグアス滝まで移動。






鼻グマ。餌をねだる。13:09

ネコ目アライグマ科という。

雄大な滝を見ながら、遊歩道をゆっくりと一時間強歩く。13:12

ボートツアーはお客を喜ばせるため、上写真中央の白く泡立っているところへ突っ込む。
下流から向かうと川底が一番深そうな場所だ。
ボートツアーは出発前にある人から参加すべきと教えてもらったので、オプショナルツアーを頼んでいないが参加するつもりである。。

遊歩道は最後にこの展望台に着く。14:05

滝の大きさと水量に、感激する。

遊歩道終端にあるエレベータ乗場横の展望台。14:11

ここから、ビル5、6階分の高さの崖をエレベータで上がり駐車場へ。
待っていたツアーバスでボートツアーの発着所へ。エレベータは小さいので10分待つ。ツアーじゃなかったら歩いて登る場面だ。

崖の上から。2枚上の写真の場所。14:29


ブラジル側でボートツアー。15:49

動画 15:52
今回の旅行でピカ2。大した水しぶきに見えないが、映像が切れた辺りでは、バケツから水をかけられた以上に水をかぶる。
昔の遊園地にあったウオータージェットコースター的なアトラクションだ。備え付けのライフジャケットを着て乗る。

旅行前に調べると「水着を着たほうががよい」とかの記載がある。寒い季節の場合どうするんだ。今の季節はどうなんだ。一年中暑い場所なのか、とか調べたがハッキリと分からなかった。
今回の場合は、寒くはない季節だったが水着だけの裸でボートに乗る人はいなかった。防水具は100均のレインコート(上下別:税込216円)を持って行ったがそれで十分であった。ボートには裸足で乗った。男女別の着替え室は無料で利用できた。着替え内容は、裸足になったのと濡れても乾きやすい半ズボン(旅行中の寝巻用)に代えた。乗場に雨具を売っていたが、雨具など着ない人もいた。まあ、この時期ならば濡れネズミになっても寒くはないだろう。
イグアス滝観光には雨具を持っていたほうが良い場所が複数あるから、ここで雨具をゴミとして捨てしまってはダメである。

ボート乗り場。

このボートツアーは旅行会社からだと2万円のオプショナルツアーだった。自分でネット申し込みをすれば5000~8000円、現地窓口で現地通貨支払いだと2000円のボートツアーらしいので自由時間を利用して勝手に乗ろうと思っていた。しかし添乗員付きツアーは、常に添乗員さんと現地ガイドさんに挟まれて移動や観光をするので自由行動が出来ないことが判明した。悔しいが現地で添乗員さんへ申し込んだ。
なお、朝のヘリツアーはキャパシティが小さいので確実に参加するために、日本で申し込んでいた。1レアル≒30


イグアス泊(ブラジル)。夕食はホテルでブッフェ。

2016.09.08(木)
アルゼンチン側からイグアス滝を観る。
入場券。330$(アルゼンチン・ペソ)。アルゼンチン・ペソもドルマークである。1ペソ=7.2円だから、入場料は約2400円。

いつも思うのだが、EXCELで上の入場券に書かれている、日、月、年、時、分の08-09-16 10:07などのデータ群を新しい順に並べ替えるときにどういう関数を使うのだろう。

公園入口から徒歩で15分歩く。その後、トロッコ電車に乗って移動する。300人乗り。10:39



川の上の遊歩道で最大水量の滝「悪魔の喉笛」へ向かう。11:08


悪魔の喉笛。圧倒的な水量だ。。11:23

このHPの壁紙色は上の写真から取った

11:25


動画 11:27

悪魔の喉笛からは水煙が上がるので遠目でも場所が分かる。


11:31


ここで20分の時間を取ったが、水の落ちる様は、まだ見足りない。
今回の旅行ではピカ一だ。大満足だ。
11:40


その後、1時間40分の散策をしながら滝を見る。13:00

イグアス滝はアルゼンチン側からのほうが断然見ごたえがあった。
まだ行ったことが無い、日本一の那智の滝を見に行きたいなあ。

トロッコに2回乗り公園入口へ戻る。13:25

大満足だ。今回の旅費はいつもの海外旅行の2~5倍なのだが、ここだけでも全然高くないと思った。



公園内のレストランでアルゼンチン風のシュラスコブッフェ昼食をとりブラジル側へ。アルゼンチンは滞在、5時間強だ。
その後ペルーのリマへ。19:45発LA2442。22時10着。4時間25分。夕食は機内食。

リマ市内を観光バスで移動
動画 23:01
リマ泊。

2016.09.09(金)
リマから4時間のバス移動でビスコ空港へ。大型バスに7人で乗っる。椅子が臭かった。前方から後方へ席移動。

ナスカの地上絵 
12人乗りのセスナ機で上空から地上絵を見る。機体の左右に一人ずつ座る。
12:41

この辺りは延々と砂漠が続く。飛行場を出て30~40分で地上絵の見える場所に到着する。


宇宙飛行士?。13:43

上の宇宙飛行士は違うのだろうが、一筆書きという。
ツリー。

クジラ

コンドル

ハチドリ

思ったより小さい。1/3以下の大きさだ。期待していなかったのが当たった。
掘られた溝は底が白っぽい砂なので、よく見えるという。
地上では絵を判別しにくいだろうから、ペルーには世界遺産課ナスカ地上絵保全係なんていうのがあって、そこの職員が時折、三脚の上の測量機器を見ながら少しずつ白い砂を撒く作業をしているのかしらん。

下の番号がついている13個の絵を見る。地上絵を左右の乗客に見せるために飛行機は急旋回を繰り返すので、船酔い状態になる。
操縦士が、ポルトガル語の後、英語と日本語で「宇宙飛行士。羽根の下。宇宙飛行士」と解説する。日本人が多いためか日本語の案内が一番ジャストタイミングだった。三角形は下図の場所の他に複数あった。

14:40 終了。

ナスカの地上絵はBC2000年からAD800年間に作られたという。
ただの溝だから時代考証が難しいのだろうな。

航空券


空港近くのレストランで昼食後、20時にリマへ戻る。
リマ泊。夕食はホテルのレストランでペルー料理。

2016.09.10(土)
朝、リマ空港からクスコ空港へ。9:15発LA2047。10:50着。1時間35分。
クスコは、インカ帝国の首都である。15世紀、クスコに拠点を置く小社会が3代の王によって短い間に南米最大の帝国になった。


クスコ アルマス広場
高地なので日差しが強い。標高3400メートルなので、大気圧は2/3である。体もだるく感じる。
標高 大気圧 大気圧
   [m]   [atm]       [hPa]
    0  1.0000     1013.3
  1000  0.8869       898.7
  2000  0.7845       795.0
  3000  0.6918     701.1
  4000  0.6082     616.4
  6000  0.4655     471.8
  8000  0.3512       356.0

アルマス広場という名前はペルーに多くある。

アルマス広場の「Tunupa」でペルー料理昼食。
私には美味くなかったが、美味かったという人もいた。パンはおいしい。
料理がまずいと文句をブツブツ言って食事をほとんど残したら、同じツアーの隣に座っていた若い女性が「私はパンを食べないのでどうぞ。手を付けていませんよ。」と言ってくれた。優しい心に感謝しながら頂く。

アルマス広場の噴水。12:04

クスコ市で最初に撮った写真がこれだ。しかし、スペイン統治時代の古そうな噴水なのに、侵略者である西洋系の人魚男像の噴水の上にインカの王様が乗っている。チグハグな噴水である。
現地ガイドのNさんに「この噴水はおかしいね」と言った。数週間前に突然、インカ王が噴水へ乗せられたのだという。クスコ市による観光客へのサービスである。今まではインカ祭りの時にのみ、インカ王が噴水上に現れたのだそうだ。我々、観光客はスペイン統治時代の遺跡を観にクスコまで来るわけではない。
インカ帝国の遺跡を見に来たのだ。スペイン人がインカ帝国やマヤ帝国の国民へ行った残虐行為を我々は知っているのだ。現在も差別され虐げられていることを知っているのだ。差別の余りのひどさに虫けらのように差別されているので、差別する側であったチェゲバラなどが立ち上がったことを知っているのだ。
ともあれ「インカ王を噴水に乗せることで客寄せ効果が大きくなるに違いない。落ちるお金を増やせるゾ」と考えた知恵者がクスコ市にいるのだ。ただし、地震時に落ちないように固定はしてね。日本でも渋谷のハチ公像前に大勢の外国人観光客が群がって、自撮り棒を振り上げている。この噴水へのインカ王像は、クスコ市にとって正しい政策だ。
噴水はスペイン統治時代の古いものだが、インカ王像はお祭りを盛り上げるための観光用の新しいものだ。それにしても世界遺産であるクスコ市街内の歴史価値がある噴水に、噴水が変形するかもしれない重いインカ王の銅像を乗せることがよく実現できたものだ。
貧富の差が大きい階級社会というペルーのインカ王の顔がどうみてもスペイン系なのが気になるところだ。ペルー国の支配者は誰かを暗黙のうちに周知させる仕組みだろう。
まあ、日本でも、いつの間にやら青や緑の目を持つコナンやアトムがテレビ放送され、それが当たり前になっている。今でもディズニーの主人公はアナ雪のように青い目金髪である。人種差別の刷り込みを狙っているだろう。我々の子供時代のアメリカドラマ名犬ラッシー」「パパは何でも知っている」も「正しい管理者」や「正義を行う者」は同じだった。ひょうたん島でも青目のサンデー先生は何でも正しい先生だった。これが黒目だったら無知な怠け者のニッチヨー先生になるんだろうなんて考えるのはひねくれ過ぎだろうな。
現実、米軍関係者はパスポートを持たずに日本へ入れる(*)、犯罪を犯しても日本に裁判権もない(ドイツやイタリアは米兵の裁判権を持っている)。日本の政治家は米国の利権に手を付けたり、他の外国と仲良くしようとすると、スキャンダルが出てきて、マスコミは口をそろえて批判を始め、不信を煽る評論家がゾロゾロと出てくるのと同じ構図だ(**)。我々の世代では田中角栄が欧米資本が支配し特殊なほど粗利が大きい日本市場の異常性から日本独自の資源確保に動いたらロッキード事件で無理やり罪を着せられ権力から引きずり降ろされ、司法もマスコミも政治家も何故か真相を調べないで同調し批判の大合唱が始まり、数十年間も彼の功績も報じなくなった件や、鳩山由紀夫が「沖縄から米軍を追い出す」や「東アジア経済圏構想」を出したら、米国がとんでもないと言い出し、同時にマスコミがバカだチョンだと鳩山由紀夫の非難を始め権力から引きずり下ろした。でも、東アジア経済圏構想って現在中国が主導して進めTPP後に日本が参加しようとしているRCEPと同じだぞ。日本主導が中国主導になったので日本が有利なルールじゃなく中国がうれしいルールの下で成立するのが違うだけだ。
沖縄には米国利権の米軍最大の外国基地がまだ居座っている。
田中角栄の功績を語るときに、アメリカから高い評価を受けたという評論家や政治家がいるけれど、伺った見方をすればアメリカが角栄を引きずり下ろした政治的成果を隠すため、アメリカが撒いた言葉を信じている人たちか、そう言えと指示された人とも思える。
最近、安倍首相がロシアに接近しすぎるので、足を引っ張る何かが出てくるゾとの記事が出てきた。マスコミ挙げてのアベノミクス失敗のキャンペーンでも始まるのかしらん。まあ、安倍首相の場合はアベノミクスが失敗なのに誰も批判しないのが不思議だから、現在は田中角栄などとは逆の力が外国から加えられているのかもしれない。他国の力が落ちるのは自国の国益になりうれしいことだから、安倍さんは外国から見ると、長く続けてほしい首相なのだろう。前述の「安倍首相がロシアに接近しすぎるので、足を引っ張る何かが出てくる」というのも、頑張ったという国民の評価が得たい日本政府や、無能な安倍首相に長く続けさせたい米国、日本への少ないプレゼントで日本国民を喜ばせたいロシアが一緒に撒いた言葉かもしれない。文化大革命で中国は30年も発展が遅れ、その間に日本が受けた利益は莫大なものだぞな。今や小中学生の世界学力コンテストで中国や韓国が上位を独占している。かっては発展途上の日本が上位を独占していたが、今は見る影もない。多分、ゆとり教育は外国から押し付けられた政策だったのだろう。米中韓から高笑いが聞こえてきそうだぞ。韓国は7、8後に、一人当たりGDPで日本を抜きそうだ。米国は優秀な人材を世界中から集める移民政策で抵抗するだろうが、10年後の中国は科学発展の中心にいるだろうなし。

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(*)私が学生時代に長野県の諏訪湖で先生に引率された7、8人の米国の中高生ガールスカウトの一団と知り合いになり、その中の2人と遊んだことがある。その2人とパスポートの話をしたときにキョトンとした顔をして「持っていない。我々は米軍機を使い三沢経由で、東京(横田か厚木)まで来て、その後先生が運転する米軍バス(普通のバス車体だった)でここに来た」と言った。それを聞き私はビックリした。
(**)韓国の朴大統領がスキャンダルで辞めるそうだが、中国に近づき過ぎたためだろうか?スノーデン事件で明らかになったと池上彰が言っていたが、米国民以外の携帯電話やメールを米国などは合法的に盗聴し、アングロサクソン諸国を豊かにし、逆らう者は失脚させる仕組みがあるらしい。NSA エシュロン 
世界は、この辺りをちゃんとした仕組みにする必要があるなし。日本は米国の下っ端なのでダメだから、中国やロシアに止めるように頑張って欲しい分野だな。
でもロシアも中国も、そして日本も自国民や外国の携帯電話の盗聴をしているのかしらん。音質が少し悪いICレコーダで0.5MB/分の記憶容量を使う。一億人分の2分間の携帯電話での通話内容を記録するのには100テラバイト(TB)あればよい。これを一日分とすれば、アマゾンで3テラのHDDは8000円だから26万円/日で音声記録が出来てしまう。盗聴システムの構築にはお金がかかるが、音声情報を貯めるのはお金が掛からない時代なんだな。思いだしたが、90年代は30分の録音で8MBを使うと言っていた時代だった。その音質ならばアマゾンでHDDを買っても13万円/日・一億人・2分通話だ。録音を文字情報に変換したら容量は1/1000になる。
そういえば、今の代々木公園は50年以上前にワシントンハイツ(進駐軍兵舎)という米軍基地だった。そこに住んでいる米兵が小田急線の満員電車をライフルで撃ったことがある。一人の男性が死亡して、負傷者も出た。米軍は撃った米兵を、すぐアメリカ本土に逃がしてしまいそのまま捕まらなかった。死んだ男性の遺族は今どうしているのかなあ。

12月にはこんな記事が出た。

全世界のメールの70%が米国を経由するそうだ。そして日本はアメリカや中国やロシアの盗聴をしてるのかなあ。そして、インターネットは実際に運営しているのはNTTやKDDI、ATTなどなのだろうが、誰がお金を出しているのだろう。
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クスコ大聖堂(Cusco Cathedral)。12:53

ガイドさんが、高山病予防のため水分を小まめに多く取るように言う。
高山病予防というより血栓系疾病の予防だ。
酸素が薄い高地では一つの赤血球が一回で心臓から体内へ運ぶ酸素量が少なくなる。
偶然に数ヶ月前の放送大学(下写真)でやっていたのだが、人類の酸素不足状態の解消法は、アンデス系とチベット系の2種に分類される。
アンデス系の住民は血液をドロドロにしてしまうが赤血球数を多くする。酸素不足だからもっと赤血球を作れよという酵素が出るらしい。アンデスの右の試験管写真は高地に住むアンデス住民の血液を遠心分離したもの。血液は主に赤血球からなる血球と液体の血漿に分けられるが、血球の割合が多く血漿が少ないという証拠だ。日本人を含むほとんどの人類は赤血球数を多くするこちらに属する。
チベット系の住民は血液中に血管を広げる一酸化窒素を入れる酵素があり、血流を多くする。
チベットには人類が古くから住んでいたので、そのような機能を手に入れたらしい。この適応法はチベット住民のみの紹介だったのでチベット以外には見つかっていないのかもしれない。

下は日本人の平均的な血球・血漿割合。上右はアンデスの血球・血漿割合写真。アンデスは血球がメチャ多いなあ。

旅行者は酸素不足に対応するために血流も速くするだろうから血圧は上がる。更に水分を多く取るから更に上がる。
高地に来たことで我々の体は赤血球をガンガン作り始めているだろうから、水分を多く取ることは、血圧を高くしてしまうが血液を薄めドロドロを解消する。血液中の余計な水分はすぐオシッコになってしまうから、少しずつ水分を補給をするのが正しいのだ。
また、体への酸素補給を上げるために深呼吸も意識してすべきだな。体の酸素不足を補うために心拍数を上げて血流を速くしているだろうから、下げる効果がある。

アメリカ大陸で発見された最古の人骨は,一万数千年前のもので、縄文人と同じDNAという。そしてアメリカ最古の石器や土器、丸木舟も縄文人と同じ作成方法だという研究結果もあるから「なるほどな」と思った。下の貴婦人も縄文系かな。


帰国後の今年(2016)後半にNHKで、当時多くが凍結し繋がっていた千島列島、アリューシャン列島経由でアメリカ大陸へ入ったのではないかという説の放送があった。縄文人のDNAはアイヌに近いのだそうだ。でもアンデス住民の容貌はアイヌに似ていないなあ。


イエスズ本教会(The Company of Jesus Church)

クスコは下水への排水口が子供が落ちてしまうくらいの大きさだ。クスコ散策は下を向きながら行ったほうが良いな。そして子供連れの場合は必ず手を繋いだほうがいい。


有名な12角形の壁石。大きい石だった。観光客は触りたがるが、劣化するのでダメである。インカは鉄器を持たなかった。石の加工は硬い石を打ち付けて表面を少しずつ粉砕しながら行った。インカ文明は石の加工に大きな労力を使う文明であったことは分かる。私が見たところだが、石は比較的柔らかい花崗岩だ。
13:11

アルマス広場から150mのところにある。大きな写真
大きな石には出べそのような出っ張りがある。インカ帝国は車輪を持たなかったため、石を切り出してから段差の場所や橇(ソリ)や舟を使えない場所での運搬に、これを中心に回転させたり、隙間に木の棒を入れたり縄を掛けたりした。
起伏が大きくすり鉢の底のような場所にあるクスコを首都にしたのは、水の確保が一番だろうが、巨石の運搬先としても都合が良かったからだろうな。

自由時間に、土産物屋で原色の少ないアルパカ手袋1つ。21ドル(定価:当然、値切っているが幾らで買ったかは忘れた。15ドル以上ではないだろうな)。今考えると2つ買えばよかった。

クスコの町。14:32

クスコの町。大きな写真
写真中央下1/3のところにアルマス広場が見える。写真右側に伸びる茶色の帯は飛行場。鉄骨がむき出しの建物が多いのは、ペルーでは建築中の建物の税金が安くなるからだ。

ウルバンバ泊。夕食はホテルでペルー料理。
ウルバンバはクスコから車で3時間、オリャンタイタンボから1時間の町。標高は2800メートル。
ホテル玄関内にマフラーや財布を売りに来ていたインカ風体のおばさんから手編みのマフラー2つ、財布1つを購入。計10ドル。最初は10ドル/個だったので値切り過ぎだな。実は、ガイドさんがマフラー2つを10ドルと言った私を見ていて、スペイン語でマフラー2つを8ドルに値切ってくれたのだ。10ドルを渡して2ドルのお釣りをくれと言ったら、お釣りの代わりになんでもいいから一つ持って行けという。そこで、財布を取ったのだ。マフラーは2ドルでも良かったのだと気付いたが、後述のように物価の高い国の旅行者は自国価格で物を買い、お金を落とすのが仕事だから安過ぎたな。

2019.09.11(日)
オリャンタイタンボ駅。 
オリャンタイタンボは大神殿がある遺跡でも有名だが、日本では有名でないためか素通りである。
オリャンタイタンボ駅からマチュピチュへ向かう始発列車が多く出る。6:10発の列車に乗る。5:47

マチュピチュ村には外部とつながっている自動車道がない。
マチュピチュへ入るには徒歩かヘリコプターか鉄道利用しかない。



列車内。展望車両である。軽食がつく。5:56


車窓から。列車はウルバンバ川沿いを下って行く。ウルバンバ川はアマゾン川の支流である。06:18

約15年前にテレビ番組「世界の車窓から」で、この列車沿線は絶景が続き感動ものだと放送していたのを見たことがある。学生だった姪がその前後にマチュピチュへ行ったので「鉄道からの景色が素晴らしいらしいね」と聞いた。姪は意外そうな顔をして「そういえばそうだった」とだけ言った。その素晴らしさを語る言葉を期待していた私はそれを聞いて意外な気がした。
なるほど、ここの沿線は絶景が続くが、ここに来るまでの間に、アンデスの峻嶺を多く見ているので、特別感動するものではなかったのだ。

07:10

マチュピチュ駅の1つ、2つ手前の駅で降りる数人の若者がいた。トレッキングしながらマチュピチュ遺跡へ向かう人たちという。

マチュピチュ駅に到着。標高2040メートル。07:46

駅から徒歩3、4分のホテルに荷物を預けてバスでマチュピチュ遺跡へ。
マチュピチュ駅と川を挟んだところにあるバス乗り場では、遺跡行きバス待ちの長い列があり25分待ち。遺跡入口まで25分バスに乗る。途中、バス代を節約するためバス道を貫くように作られている登山道を歩いて登る若者も数十人いた。24ドルの節約だ。そういう若者を見ると羨ましく感じる。列車もバスも入場券も支配層へ支払われる利権料で高いのだ。




遺跡入口着。標高2430メートル。8:56

左の建物がベルモンド サンクチュアリ ロッジ。緑の屋根が遺跡入場門。

入場門の右下にあるトイレに、長い列があり10分待ち。遺跡内にはトイレがない。
入場門も10分待ち。


1ソルは32円。


9:37

マチュピチュには数百人が暮らしていたという。

9:59

正面のワイナピチュ山には一日400人という入山制限がある。
後の太陽門からの写真を見れば分かるが、ワイナピチュ山は遺跡から結構離れていて、そこまでは険しく細い道だ。入山はネットで予約するが、まず取れない人気という。マチュピチュ遺跡からワイナピチュ山頂に小さな遺跡が見える。写真

マチュピチュ遺跡は下写真の下部に左右に伸びている、遺跡中央にある通路(階段)で2つの地域に分けられる。通路のこちら側が畑地、向こう側が住宅地となる。10:14。大きな写真

大小の石を積み上げて壁を作っている。地震が多い地域だが発見されたときも石組みがずれずに建っていた建物が多かったいう。車輪を持っていなかったインカで巨石を運び組み上げるのは大変だったろうなあ。

建物の屋根はわらぶきだ。2階建てもあった。2階の床は板貼りだ。


遺跡の畑側。11:30

上写真の中央上の行列が遺跡に入って来た人達。左側家近くの行列が遺跡出口。

畑側は巨石を避けるように凸凹がある擁壁だったんじゃないだろうか?棚田がきれい過ぎるので復元時に棚田幅を同じにしてしまったのかなと思った。しかし、これは元からで大きな石が散らばっている山肌上に畑を作ったのだという。排水を良くし畑が崩れるのを防ぐため、土地を4層構造にしている。一番下は大きな石の瓦礫層にしていて、次は小さな瓦礫、砂、一番上がきめの細かい土だそうだ。また、日本の棚田の擁壁と同じように下に大きな石を埋め次第に小さくなる石を置いている。
畑は数百人の人の食糧を作るには小さい。このため周辺に畑の跡が沢山あるという。
ここは高地だが湧き水は豊富なのだという。遺跡入口にあるロッジなどのトイレも水洗であり、バス道にも湧き水があった。
富士山登山をはじめとする日本の山も水洗トイレにすべきだな。水洗に出来ないる理由ばかりを探し、マチュピチュには出来る理由ばかりを探す日本のお役人の姿が見える。

11:35


マチュピチュ一帯は国有地だが、現在慎ましい生活をしているリマ在住のスペイン系ペルー人に所有権があるとの書類が最近見つかった。返還を求め、国が訴えられているが、その訴えを国は無視しているなんていう話がある。

マチュピチュ村は物価が高いので宿泊を避け、クスコから日帰り観光する人が多い。

マチュピチュ遺跡だけではガイドさんの話を聞きながらゆっくり歩いても2時間ほどで観光が終わる。このため、我々のツアーは昼食後にインカ通り(カパック・ニャン)を高度差290メートルの太陽門と名付けられた峠までを散策(トレッキング)する無料のオプショナルツアーが付いていた。インカ道はクスコを中心とした道で1万キロ以上作られたという。

散策に参加。

散策目的地の太陽門 に着いた。登りがきついかった。
太陽門の標識。2720メートル。14:14


太陽門からの景色。14:23

反対側から太陽門へ登って来た数人の若者とここで会った。ガイドさんのよるとマチュピチュ駅の手前で列車を降りた人たちだろうとのこと。
手前の駅で降りインカ通りをトレッキングをしながら太陽門経由でマチュピチュに入ると、景色もそうだが、入場無料でマチュピチュ遺跡に入れるのもうれしいのだ。4000円の節約にもなる。知っていればポーターを雇って手ぶらでそのルートが良い。40000円支払って現地のインディオにお金を落としたい。
なお、クスコやオリャンタイタンボから周辺のインカ遺跡を観光しながらマチュピチュへトレッキングするには、現地人ポーターを雇い、テントでの山中泊が必要という。

インカ門からのマチュピチと鉄道駅(マチュピチュ駅の一つ先の駅。マチュピチュ駅は右下側)とウルバンバ川。

下が正確かな。


14:40


写真全体が青っぽく煙っているのは、アマゾン側から流れてくる焼き畑の煙。
手前の道は遺跡入口までのバス道。
バス道の終点にある大きな屋根の建物はベルモンド サンクチュアリ ロッジ。その右上が遺跡への入場門。遺跡への遊歩道は入口から2、300mは一方通行。入場門の右上の道が遺跡へ向かう道。その下の道が遺跡出口への道。ちなみに、遺跡には遺跡の手前で森の中の坂や階段を登り、遺跡上部から入る。
遺跡へは入場券を見せると2回目の入場が出来る。我々も遺跡を出てベルモンド サンクチュアリ ロッジでバイキング式の昼食をとってから、トレッキングのため再入場した。

太陽門で30分の休憩後、来た道を戻る。トレッキングは7名で参加した。2名は途中で脱落。

2時間半の散策を終えたがバスを待つ列が長いので、暫し木陰で休憩。
この写真を撮った場所は、上の写真にマウスのポインターを合わせると分かる15:18


暑くて参った。背中は汗びしょである。

16:00頃でも帰りのバスはロッジ前で20分待ち。日曜だから混んでいたのかな?

マチュピチュは小さい遺跡だった。多分、こんなものだろうという予想通り。

具体的なマチュピチュ遺跡の大きさだが、下は同じ縮尺のマチュピチュと東京駅と鎌倉の鶴岡八幡宮だ。JR東京駅ホーム群のほうが大きい。JR東京駅在来線ホームを階段を使って隅々まで歩き回ると思えば、高低差も歩行距離も同じだろう。


下の写真はウイキペディアより。




マチュピチュ村泊。夕食はホテルでペルー料理。ツアーだからかレストランでのビールが高いのが分かっていたので、駅までビールを買いに行った。部屋の冷蔵庫で冷やして飲む。夕食時はコカ茶(無料)。

2016.09.12(月)
マチュピチュ村出発。ここから機中2連泊で羽田へ向かう。
5:35発の列車に乗車。

オリャンタイタンボ駅がある地域で観光利権を一部の業者・人物が独占しているからと、住民による道路封鎖があるとの情報があったので通常のツアーよりも出発が早かった。
睡眠不足下での出発で、以降の機中2連泊は辛いものであった。

オリャンタイタンボ駅からはバスでクスコへ。マチュピチュ観光はクスコが拠点である。
オリャンタイタンボ駅周辺や橋などの交通の要所は武装警察が出動して守っていた。

橋の先に止まっている車は我々のツアーバス。

この橋から見える崖の上のホテル(ネットからの画像)。

多分、下に見える橋が1枚上の写真。

移動が順調に進んだので早くクスコへ着いた。
アルマス広場で時間調整。

クスコ アルマス広場 
声をかけて来た靴磨きに、昨日のインカ古道散策で汚れた靴を磨いてもらう。09:58

磨き賃を決めてから頼んだが、お約束の「靴は2足なのだから2倍だよ」と言ってきた。
ダメだと言っても磨き終わるまで言い続けた。下を向きながら独り言のように言うので不快感は少ない。仕事はしっかりして丁寧だった。靴クリームを付けるときも蓋を開けて見せながら、これを塗って良いかを確認した。磨き賃2ドル。
このときペルーの通貨は持っていなかった。新橋の路上靴磨きは500~700円である。日本は国力が衰えたとはいえ、まだペルーよりは人件費が高い国だからと2ドルにした。昨年にミャンマーのインレー湖にある首長族の店でチップを1ドル渡したと言ったら「観光客はお金を落とすのが仕事みたいなものだから少な過ぎ。」とKさんから叱られたことがあるので、2ドルにしたのだ。まあKさんは「物価の高い国から来た旅行者は自国価格に近いお金を払うべき」という太っ腹な考えを持っている。私も見習いたいが、富裕層であるKさんと違い、一袋18円のもやしを買うために数百メートル遠いスーパーまで歩くような生活をして貯めたお金で旅行をしている年金生活者の身分では、とてもできないなあ。
日本でも郊外へ行くと地元の農家が道端に机を置いて、野菜を売っている。農家はスーパーの売値で売りたいと思って販売しているのだが、買い手の我々は農協への卸値で買いたいと考え野菜価格をチェックするものだ。ここの靴磨きも「日本での靴磨き賃」を期待している筈なのだ。そう考えると年金生活者の身分でも、もうちょっと値上げして3ドルにすればよかったかなあ。

10:07

アルマス広場は坂である。インカは車輪を持っていなかったので、都市を作る上で多少の坂は問題じゃないのだろう。大きな写真

昼食までの自由時間に喫茶店(CafePanam)に入る。コーヒーとケーキ。6ドル。10:17

ここのケーキは大きくとても甘い。コーヒーは濃い。



11:30からレストランで昼食。おにぎりなどの日本料理のお弁当。

12:00からだが11:30開店にしてもらった。お弁当を食べるための場所を借り、飲み物だけの利用だからかな。
このツアーはここ以降の食事は全て機内食か自分で頼む。

昼食後にアルマス広場周辺を散策。
12:20


イエスズ本教会の2階窓からのアルマス広場。12:34

教会内は撮影禁止だが、外は構わないだろうと撮影。
入場券。入場料7ドル。

裏面。この辺りにはイエスズ会の教会が多い。

クスコ観光終了である。クスコ周辺には前述のオリャンタイタンボのほか、コリカンチャ、サクサイワマンなど多くのインカ遺跡があるが見ていない。物足りなかった。

クスコ空港からリマへ。15:15発LA20741。16:40着。1時間25分。

リマ市内観光

旧市街を歩く。
サンフランシスコ教会。18:06


内部。


大統領官邸。KEIKO氏が当選しなくて残念だった。18:26


アルマス広場。クスコの広場と同じ名前だ。18:30




コカの葉。お湯に入れて、お茶にしたり、口に含んで噛む。薄くお茶の味がする。乾燥させたコカの葉は、空港、土産物店、ホテルロビーなどでお皿の上に置いてある。無料。

上写真。朝から2枚の葉をティッシュに包んでポケットに入れていたらもみくちゃになって細かくなった。


リマのスーパーで最後の買い物。

ドルで買い物が出来る。お釣りもドルで、1ドル以下は現地通貨となる。

買い物を終えて店前の椅子に座っっていたら、犬を連れた人が近くに犬を繋いで店内へ入っていった。撫でたら寄って来た。20:52

なでた手の臭いを嗅いだら臭かった。すぐ離れた。


レストランで夕食。鳥料理。インカコーラ:350円。ツアーで使う店は飲み物を高く設定しているなア。


リマ空港02:00発LA0600。08:30着。8時間30分。

機中泊。

2016.09.13(火)
ロサンゼルスでの乗り換え時間を利用してハイウッドとリトルト-キョ-観光。
搭乗の9時間前だったが、DELTAカウンターでスーツケースを預けることが出来た。
身軽になったところで、ロサンゼルス空港(LAX)のインフォメーションカウンターで、ロサンゼルスの無料地図をもらい、ハリウッドに行きたい旨を伝えた。
「ブルーの乗り合タクシーを使え。20ドル/人だ」と大型タクシーの写真(車体はブルーではなかったのでブルーの標識がある場所に停まっているタクシーかなと思った)を見せ「あそこの出口を出て左55フィートだ」と教えてもらう。
残念ながら左55フィートにブルーの乗り合いタクシー止まっていなかった。ブルーの標識も無かった。待ってもどうなるか不明なので、その20フィート先の普通のタクシー(プリウス)に乗った。タクシーで都心まで5~6000円と聞いていたが、メータは70ドル後半だった。チップ込みで90ドル(100ドル札を渡しバック10ドル)支払った。
今回の旅行社のこの乗換時間を利用してのロサンゼルス観光のオプショナルツアーは、18000円/人だった。しかし、18000円だったらある程度一人で動け、時間が取れる人は帰国を一日延ばしロサンゼルス一泊をした方が良いだろう。
10:36

ハリウッドで地元のハンバーガー屋に入る。大きさにビックリする。ドリンクバー付きで約10ドル。11:13


空港まではメトロを使うことにした。メトロとは地下鉄のことだと思っていたら、バスや路面電車もメトロだった。市営の公共交通というような意味かな?
メトロ地下鉄駅で一日券を購入。8ドル(内tapカードのデポジット1ドル)。
メトロのtapカード。




リトルトーキョー。12:20

バス停前を歩いていたら2連のオレンジメトロのバスが来た。地下鉄駅まで乗ることにする。オレンジメトロ線にはオレンジ色のバスが走っている。12:29

バスの中 12:32

乗ったらバスが次の交差点で曲がってしまったのですぐ降りる。降りるサインは黄色いヒモを引く。

地下鉄を2回乗り換え、最後はバスに乗り換えて一時間以上かけて空港へ。
地下鉄(路面電車)のLAX駅からLAXまでのバスは無料だった。
ロサンゼルス観光の費用は63ドル(6500円)/人。
次回は全てメトロで出来るようになったが、LAXはUNION駅間のリムジンを往復で使うのが正しいようだ。普通の旅行者はメトロを使わない。怪しげな人たちが地下鉄や路面電車内で物を売ったり、観光客に声をかけてくる。若い日本人女性は声をかけてくる相手を無視することに慣れていないので狙われ易いようだった


ロサンゼルス空港(LAX) 18:28発DL0637。

機中泊。

2016.09.14(水) 22:20羽田着。11時間50分。
24時近くに帰宅。

ホテル


日程


感想、他。
・我々、団塊の世代は残りが300~800週だろう。その中の1.5週を南米に行って過ごせたのは良かった。今回の旅行は満足点だ。
・添乗員付きツアーは楽だ。入国書類も書いてくれる。必ず現地ガイドも付く。支払いはドルだけで済む店やレストランに連れてゆく。ホテルは100vのAタイプ電源がある。荷物を持って移動することもほとんどない。そして早朝から夜遅くまで予約済のレストランや観光がテンコ盛だ。個人ツアーだ手間とリスクを考えて、そうはいかない。しかし、高い。
・出発前にはリマ宿泊時にホテルからタクシーでリマ駅まで往復し駅内観光をしようと思っていたが、実際には夜遅くまで観光で連れ回された。ホテルはリマの中心部から外れた所にあり刑務所のような高い塀と分厚い鉄の扉で囲まれていた。外に行くのは面倒だとの気が起き、駅へ出かける気は自然に失せた。添乗員付きツアーはトラブルを避けるために自由行動をさせないようなホテルが組まれ、添乗員は自由行動をさせないように時間調整するのが仕事になっているのであろう。クスコでも自由時間があったのだからクスコ駅に行けば良かったと思うが、現地通貨を持っていなかったり、自由時間を挟むようにレストランなどの予定を入れられてしまい当時は思い浮かばなかった。それが旅行会社側の手順書通りの仕事なんだろうな。
・旅行中は日本人の若者にほとんど会わない。会ったのは団塊世代の添乗員付きツアー客ばかりだ。日本は、老人たちの年金を減らしても若者の所得を上げる必要があるな。
中国人や韓国人観光客も少ない。南欧系言語の観光客の次に多いのが団塊世代の日本人観光客だ。現地でもらうナスカの地上絵マップの記述はポルトガル、英語、日本語である(上に写真)。
・吸血虫を持ってきてしまった。帰国後に腕や手を10か所以上刺された。猛烈に痒く皮膚が膨らむので、若いときの記憶から南京虫だろう。デルタ航空かロサンゼルス市内からだ。慌ててバルサンした。吸血痕は増えなくなったが、痒いのはなかなか治まらない。
日本に帰ったらスーツケース中のビール缶に穴が開いていた。ロサンゼルス空港(LAX)で気付かなかったのでそれ以降だろう。吸血虫は二酸化炭素に集まると言うから空港や飛行機の中でスーツケースに潜り込まれた可能性が高い。バルサン後に虫の死骸を探したが見つからなかった。
・帰路の時間が長く、動きながらの機中2連泊を心配した。しかし、面倒なのでツアー日程のままにした。面倒がらずにロサンゼルス一泊を追加しLAX発を一日伸ばすべきだった。今までの経験から、LAXでツアーと分かれ自己責任でホテル手配と移動をするならば飛行機の翌日便への変更は無料でやってくれる筈だ。
ロサンゼルス泊ではつまらないと感じるならばリマ鉄道駅近くに2泊追加し一日日程伸ばしかな。不足感のあるリマ観光もじっくり出来たし、風呂に入ってからリマを出発できる。この場合は手荷物中への足拭き用ウエットティシュと換え靴下は必須だ。実際どうだかは分からないが、LAX-羽田間の飛行機の中で靴下が臭う気がしたのだ。
・ツアー前に旅行社へ「飛行機の席はなるべく通路側」との希望をメールした。「なるべくご希望に応えます」との返事は良かったが、実際には通路側をわざわざ避けられたような席で、全く斟酌されなかった。無理なら無理と返事をすべき。ツアー会社は準大手のCTR社。
・今回の我々のツアーの現地ガイドfujiiさんではないが、ある観光地で新婚さん(今回の旅行で若い日本人に会ったのは彼らと我々のツアーに親子で参加した娘さんだけ)を案内している現地ガイドさんがいた。彼らも、我々と同じレストランで食事をした。ガイドさんはリラックスしている様子でしゃべりながら食べていた。同じテーブルで、新婚さんがガイドさんを気遣う様子で無口に食べていた。それを見てガイドさんが同じテーブルで食べるのは気づかいが足りないと感じた。
ちなみに、今回のツアー添乗員は最終の夕食時(お礼やら伝達事項があった)の1回以外、現地ガイドさんは全て、我々ツアー客と食事テーブルを違えていた。
・生涯2度目の添乗員付きツアー。6月下旬に現地の気候から9月上旬までのイグアスとマチュピチュが入るツアーを「トラベル子ちゃん」でチェックしたら2、3つしかない。ホテルと航空券と現地ガイドが時々付くだけのツアーより数万円高かったが、ツアー催行日が一番こちらの都合に合っていたので申し込んだ。現地で多くの添乗員付きツアー客と会ったので、探し方に問題があったのかもしれない。我々のツアー客は総勢7人だった。他のツアーは20人ぐらいだったので、運が良かったと言える。
・一眼カメラを持って行ったが重いので、スーツケースに入れっぱなしのことが多く、スマホばかりを使っていた。帰国後、写真を比較すると写り方は歴然としていた。面倒がらず一眼カメラで写真を撮ればよかった。
・9月21日(水)に人間ドックの予定だった。少しでもダイエットしようと不味い食べ物は残すようにした。食べるのをセーブしたつもりだったが、体重は出発前に比べ0.2kg減っただけだった。
・お土産
チョコレート。ペルー製。



開けた。


左。ITAIPAVA。ブラジルビール。
右。CUSQUENA。ペルービール。上述の穴が開いた缶はこいつだ。

ITAIPAVAは、飲み口側を金色の紙蓋をしている。



PILAOのコーヒー。ブラジル。

コクがあって旨い。両方とも粉のように細かく挽いてあるので濃く出る。香りは薄い。
NOBRE(ポルトガル語で立派な)のほうが、よりコクがあり旨い。
そういえば、コーヒー産地で買うコーヒー粉は細かく挽かれているのは何故なのだろう。
日本で購入するコーヒー粉は粗く挽かれている。これよりも香りはよいがコクは少なく薄く出る。
味の素が作っているがスタバのコーヒー粉は、香りもコクも良いから、やはりコーヒー豆が違うのかしらん。

INCA KOLA。メロンソーダの味だ。ペルー。製造はコカ・コーラ社。

1本しか買って来なかったが、5,6本買って来るのであった。

娘に頼まれたアルパカの手袋、マフラー。ペルー。マフラーはだれも喜ばないであろう代物だ。

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